3

【3】


 「…耳が痛い」

きーんとする右耳を抑えながら、主不在の「翡翠」の玄関を掃く。
玄関には「CLOOS」の札と、バケツと雑巾。マルアに連れて行かれる際に、睨みつけながら店の掃除を言いつけて言った。

「……はあ…」

 クロードは、箒を手にした自分の手を見つめながら肩を落とした。
「コレでも、上位に位置する天使が人に使われるなんて…。もしも、『天使長』に知られたら…」
ふわりとした今亡き金色の長い髪を持つ『天使長』を思い浮かべる。
左右瞳の色の違う眼が、鋭利な刃物のような眼光を宿らせた白い翼の天使を統べる存在…――。

「ひっぃ」
ぞっと背筋が冷たくなった。
思わず、『天使長』を思い浮かべ蛇に睨まれた蛙状態になる。プルプルと震えながら、頭を数回振る。
橙色の瞳をもつ、灰銀の髪を持つ現『天使長』の怒りも恐ろしい。
どの道、新旧『長』の怒りは怖い。
ぶるぶると震えるクロードは引きつった笑顔を浮かべながら気を取り直して、急いで表を掃き、ゴミを集め、雑巾で硝子を拭き、店の中をモップ掛けし、羽叩きで陳列棚の埃を優しく払う。

この、「一週間」リゼリに仕込まれた掃除のスキルだ。

ポーションと呼ばれる瓶一つ倒したら、手にした麺棒で殴られる日々。

手にした『在庫表』のチェックの仕方、釣銭勘定、包装の仕方、接客、などなど。
天界で暮らしていた際には必要のない知識を、この一週間でふんだんに叩き詰め込まれた。

「でも、『天使長』が怒るより、リゼリさんが怒った方がまだマシだっていうところが何と言うか虚しいトコロが」

暴力を振るわれるが、『天使』なので自己回復で傷を癒せるため死にかけない限り、多少の打ち身は平気だ。当たり所が悪ければ別、の話だが。

「ひひひぃぃぃっ」

向居斜めのパン屋から聞き覚えのある声、もといリゼリの叫び声が響く。
ここ最近、リゼリが悪さ――と言うか極度にクロードを虐めている時にマルアが来てリゼリを自分のパン屋で扱くという図が出来上がっている。
見ず知らずの男を一週間前に「住み込み従業員その一」として紹介してから、ちょくちょくとマルアは「翡翠」に顔を出している。
マルアを鬱陶しいようにリゼリは感じていても実際彼女と会話することは楽しいようで、今日のような日“以外”は仲良く居間で談笑をしている。もちろん、クロードが店番なのだが。

(マルアさんも、本当にリゼリさんのこと心配しているんですね)

『その子の教育はアタシが、死んだバルッシャのばあさんに頼まれているんだよ。この悪餓鬼が人様に迷惑かけないように見張るのも、食い物が無くてひもじい思いしているときにパンを与えるのもアタシの役目だよ』

だからこそ、リゼリの様子を伺いに来ているのだ。
その要因のひとつ、クロードがリゼリに『何』かしていないかを。
けれど、マルアのその杞憂も一日目で木っ端微塵に吹き飛んだのだが。

(あれだけ、罵られ、こき使われ、殴られ、蹴られ。さすがに、娘同然のリゼリさんを止める方を優先しますよね…)

逆にその後、マルアの家(パン屋)に連れて行かれ、

『リゼリに弱みを握られたとか、言ってごらん。アタシが何とかしてやるからさ』

と、慰めてくれた。その優しさに思わずじわりと涙が溢れてきたクロードは、情けなくもマルアの前で泣きそうになってしまった。
そして、いつの間にか街に広まった『爆発娘、ついに男が!?』という噂もあっという間に廃れた。
それは、リゼリのクロードの扱いで、だ。

周りの目は確実にクロードを哀れんでいる…。

「マルアさんがいるのに、どうしてリゼリさんは“ああ”なんでしょうかね。乱暴で――」
「強暴で、強欲で、金さえあればいいってくらいの女だし。あんな女の店でよく働く気になったよな。兄ちゃん」

「え?」

独り言が聞かれていたいことよりも、その返答が聞き覚えのある声だったからだ。
「よ!善良な店番の兄ちゃん!悪人の薬師はパン屋の女将に捕まって説教中みたいなぁ」
片手を上げて、金髪の髪が太陽の光で輝く。
焼けた肌に、茶色の大きな瞳。にっこりと無邪気に笑う、少年。

「ジェシー君…」

クロードは、服とは言いがたいボロキレのような服を着た少年を捉え、なんともいえない顔つきになる。困っているでもなく、少年を哀れんでいるわけでもなく。

ただ、『なんともいえない』顔つきで少年を見つめた。


 殴られた理由が分からない、なんて――リゼリの言葉を思い出せば簡単につながる。

 「わりぃんだけど、万能薬《ポーション》もらえる?」

すまなそうに言う少年に、同じようにすまなそうにクロードは返す。

「すみません。今日は無料《タダ》というわけにはいかないんです。店主にも怒られてしまいましたしね」
向かいから聞こえるマルアの怒鳴り声。
反論したリゼリに怒っているようで――、
「ああ、あのねーちゃんは、ね。良くいる強欲商人――いや、薬師だから。ポーション一つに金六枚つけるし」

この一週間叩きこまれた知識が言う。

ただの『万能薬《ポーション》』に金六枚は高い、と。
効能を聞けば、神経痛や痛み止め、軽い毒消しの効能も思っている。
ブレイ山には毒を持つ野草も生えているため、万能薬《ポーション》は人々にとって欠かせない常備薬だ。
『翡翠』以外の店では、高くても銀七枚で購入ができる。
なぜ、『翡翠』の価格は高いのか――。
リゼリはそう質問したクロードにけろりと告げた。

『うちの商品は品質重視。外装重視。そのガラス瓶、中身より高いから――割らないでよ?馬鹿天使』

と、言葉が返ってきた。
中身より外装って、瓶って!?、といろいろと突っ込みどころが満載な返答にクロードは絶句した上に、リゼリに突き詰めて聞く気にもなれなかった。

「………」
そんなことを思い浮かべていたクロードにジェシーは肩を落とす。
「クロード兄ちゃんさあ、俺みたいな孤児の子供《オレ》に、金六枚がどのくらいの価値か知ってる?」
「…それは…」
「万能薬《ポーション》なんて、風薬と同じで安くても銅九枚あればいいんだよ。なのに、アイツは金しか眼が無くて、貧乏人に手が出せないくらい薬の値段をつけやがるっ」
悔しそうにこぶしを握り締め、茶色の瞳に涙をため、
「姉ちゃんが、いつもの『発作』で…『薬』がないと死んじゃうんだよっ!」
悲痛な叫び声を上げた。

「………」

クロードは、ジェシーの悲痛な声に胸を撃たれ、瞳をウルウルさせて手の甲で涙が溢れる前に目を拭う。
「ひ、人の命には返られませんよね。きっと、リゼリさんもわかってくださいます」
優しくジェシーの頭を撫で、「待っていてくださいね」といって万能薬《ポーション》をカウンターの後ろの棚から出し、袋に詰める、と…。

 『あんっの、馬鹿餓鬼にポーションをタダでやったなんて…あんたは学習能力ないのかしらー!?』

麺棒を持ったリゼリの鬼の形相が浮かぶ。
今朝のやり取りがフラッシュバックする。

もし、これを渡したら、今度こそ――殺される?

それでも、クロードには『渡さない』という選択肢は存在しなかった。
目の前に困っている人がいる。
『天使』として、率先して助けてやるべきだ、と――チクチクと胸が痛む。

そんな痛みをかき消すかのように、麺棒で殴りつけられた後頭部がズキンと痛む。

「あの、ジェシー君」
「ん?なに、兄ちゃん」
「あの、『店主』から言われているんだけどね。やっぱり無料って言うわけにはいかないんだ。少しでも…お金あるかな?」

そう、タダで渡したら命にかかわる。

だから、少しでも――金銭を受け取れば――。
(そうすれば、半殺しまでで済むか、な…?)
背中に嫌な汗が流れる。
とりあえず殴られよう、そしてリゼリさんに謝ろう――。
覚悟を決めたクロードの言葉に、ジェシーは瞳を大きく開き、突然 床に倒れこむように膝をつき、

「兄ちゃん。お願いだ、今あるお金を取られたら、姉ちゃんに食わせてやるパンが買えないんだ!せめて、せめて姉ちゃんの体が良くなる―――」

手を組んで、そうクロードに懇願するが――、

「人の店に何のようかしらー?ウ・ソ・ツ・キ・少・年?」

カランと、出入り口に備え付けられたベルが鳴る。

クロードは、「ひぃ」と口からあふれる悲鳴を押しとどめ、ポーションを入れた袋を背後に回し、ジェシーは店内に入ってきた彼女-リゼリを堂々と睨み付けた。
いつの間にかマルアの説教は終わっていたらしい。

「けっ。悪徳薬師のご登場か」
「ふんっ。店番のこのカスにも塵にも等しい役たたずに取り入って人の店の物をタダで手に入れてどこぞで売りさばいている、アンタに言われたくないわよ。クソガキっ!」

「え?」

二人のやり取りのうち、リゼリの言葉に唖然としていると、
「あんたは、騙・さ・れ・て・る・の!!」
人差し指を突きつけて怒鳴る。
「嘘なんていってない!俺の姉ちゃんは実際に!!」
「ふん。姉弟そろってどうなんだか?実のところ姉も皆の同情を引こうと仮病でもしているんじゃない?!」
「なっ!!」
「あらぁ、図星?!うちの馬鹿な従業員をはめて、さ・ぞ・か・し・楽しかったんでしょうねー?なんたって、あたしにいっぱい食わせることできたんだし?!」
歯を食いしばりながら怒りで顔を赤らめたジェシーはリゼリを睨み、
「……っ、ああ、そーだよ!!この馬鹿な兄ちゃんがほろっと騙されてくれたおかげでアンタんとこのポーションを『タダ』で手に入れられたんだからな!なんったって、あんたんとこの『琥珀の雫』と言えば万能薬《ポーション》の中でも十本の指に入るほどの効き目だしな。馬鹿な兄ちゃんだよなぁ!!こんな兄ちゃん雇っているあんたも大概馬鹿だよな!!」
十本の指に入る万能薬《ポーション》をタダでやったことに目を丸くするクロードは、怒りで頬を上気させたリゼリに視線を向けた。射殺せるほどの視線を返されクロードは思わずカウンターの下に隠れた。
「この馬鹿をあたしと一括りにしないでよね!!」

リゼリと怒鳴り声と共に、がしゃーんっと激しい音が響く。

カウンターの棚にあった瓶が数本割れ、クロードに破片が降りかかり、どすんと麺棒がクロードの脇に落ちる。
「っ!リゼリさん、何で麺棒持ち歩いてるんですか!?と言うか、店の商品っっ!!われ、割れましたよ!?」
「うるっさいわね!あたしの店のモノなんだから!あたしがどうしようと勝手でしょう!!大体、なに万能薬《ポーション》タダでやろうとしるのよ!アンタは!」
「ひぃ」
カウンターの中に隠れ、がくがくと震える。
爆発している、リゼリの怒りが。
「出て行きなさい、あんたみたいな薄汚れた餓鬼が来るところじゃないのよ!!ウチの店は!!」
「っ!!」
ジェシーは、リゼリの脇を通って店を出る。
「へっ!!インチキ薬師!!お前の『店』の薬なんて全然効かないじゃないか!!」
「なんですってぇ!!」
べーと舌を出して通りを走り行くジェシーにかぁっとリゼリは頭に血を上らせ、
「塩!!クロード!!塩!岩塩持ってきなさい!!」
店に怒鳴り込んで来た。
何故か、カウンターの下に用意されている容器に入った塩と、岩塩をそそっと差し出す。それを受け取るや、外に撒き始めた。


「ふざけないでっっ!!あたしの――翡翠の『店』の薬が効かないですって!?ふざけないでよね!!」


通り全体にリゼリの怒声が――響いた。
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※暴力表現とか流血表現とかあります。
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