【2】
清々しい、ハーバル街の朝。
この薬屋「翡翠」の斜め前のパン屋「プランスヴェル」から香ばしい香りが漂っている。
空の青も、
ゆっくりと時間を感じさせないくらい、穏やかに動いている雲も。
この、一日という日の「始まり」を描いている。
そんな、清々しい、朝。
「このっ」
けれど、この薬屋「翡翠」では清々しいどころではなかった。
「どあほーーーーーーーーーーーっっっっ!!」
亜麻色の髪を殺気で揺らしながら、手には麺棒。
振り上げ、
振り下げ、
「この、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁ!」
力いっぱいの連撃を繰り返す。
「ひぃぃっ!いた、痛いですっいたたいたいたっ」
ひたすら麺棒で殴られ続けている、青年―クロードが頭を抱えて逃げ出す。
新緑の緑色の髪を振り乱して、店内の出入り口のドアノブに手をかけ何度も回す。
がちゃがちゃと金属の音が響くだけで、扉は一向に開くことは無い。
(鍵!!)
がちゃり。
鍵を下ろして、クロードは出入り口を大きく開け放つ、が。
「待ちなさい!!このどあほ!!」
彼女―リゼリは麺棒を垂直に投げ、クロードの後頭部に直撃した。
「うぎゃっん!」
前方に倒れこみ、後頭部を抱えて悶絶する。
クロードの後頭部に直撃した麺棒は通りの路地に落ちて転がった。ずかずかとクロードに駆け寄り背中を力いっぱいリゼリは踏みつけた。
「あ・ん・た・ね・ぇっ!!!昨日、あれだけ言ったでしょ!?」
亜麻色の髪が蛇如く(気迫で)うねりを上げ、緑の髪を無造作に鷲づかみにした。
まるで女性のする動作ではない。恐ろしさでクロードは真っ青になった。
「い・い・こ・と?」
ぐいっと右手でクロードの顎を掴み顔を上げ、視線を合わせリゼリは引きつった笑顔で、怒鳴りつけた。
「あんっの、『馬鹿餓鬼』にポーションをタダでやったなんて!あんたは学習能力ないのかしら!?」
ずるずると店内まで引きずって、掴んでいた髪を勢いよく振りかぶりクロードの頭を床に叩きつけた。
ごすっと木で出来た床に、額を思いっきりぶつけた上に勢いがあって二メートルほど床の上を滑る。
「うぅぅ」
引きずられたショックと、ぶつけたショックと滑ったショックと、それとリゼリが何で怒っているのか、理解できないショックなどなど…とりあえず朝一番に怒鳴られ殴られ、引きずられ…。痛みと混乱で目に涙を溜めてリゼリを見た。
「い、いきなり何を…」
ギンッと睨まれ、出掛かった震えた言葉は喉の奥に逃げた。
「いい、あんた。本気で売り飛ばされたくなかったら、あの『餓鬼《ガキ》』には金輪際何があてっても恵まない。たとえ、神様がなんて言おうとも!!大体、お代をまけるでも許しがたいのに、タダ!タダですって!?信じられない!!たかが雇われの、居候の、人外生物《いきもの》のクセに!!」
ギリギリといつの間にか再び手にした予備の麺棒を雑巾のように絞り上げようと捻っているリゼリに恐怖し、「殺される!!」と心中叫んでしまいクロードは、ただただ床に座り込んで「すみませんすみませんすみませんすみませんっっ」と連呼をし続けた。
が、リゼリの怒りは収まらない。
「馬鹿天使…、あんた天使のクセに疫病神ね!」
ギリっと歯軋りの音が聞こえ、眼が細められる。
(こ、殺される!!)
ギチギチと麺棒が音を立てる。
人の力ではありえない。
終いには、
ばき!!
「ひぃ!」
殴られる音が響く。
頭を抱えて、床に蹲るクロード。
そして、
「ひぃ…いっ…痛っいぃいっ」
後頭部を抑えて半身を曲げている、リゼリ。
「え、あれ?」
頭を守るように抱えていたクロードは、後頭部を抱えて涙ぐむリゼリを見た。
「え、…え?」
何が起こったのか理解できず、クロードは瞬きを繰り返し、そして――
彼女の後ろで握り拳を見せている、一人の女性と視線が合う。
茶色の髪を後ろで一纏めにしてリボンを使って髪をお団子にし、地味な濃紺のワンピースにアイボリー色のエプロン姿。年は五十過ぎ。皺の入った目元と、いつもは柔らかい眼差しの瞳が今は鋭利な刃物のような眼光でリゼリを威圧していた。
リゼリは、振り向かずに、自分を殴った相手が誰であるのかこの無言の圧力で気づいていた。
「…マ、マルア…おおお…おおおばさんっ」
恐る恐る振り向くリゼリに、ばしんと今度は彼女の側頭部に平手をお見舞いした。
「痛ぃぃっっ」
右側を押さえ、床に座り込むリゼリにクロードは慌てて駆け寄る。
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
リゼリの怒りの対象になっていた彼が、リゼリの前に出る。
「マルアさん、いくらなんでもいきなり殴るのは――」
「あのね、クロード。リゼリがアンタを麺棒で殴って、足で踏みつけて、頭を床に叩きつけるのは、いくらなんでもやりすぎだろう?違うかい?」
マルアと呼ばれた女は、ギロッとクロードを睨み饐えた。
びくりと身体を振るわせながら、クロードは、
「えっと、それは、…やりすぎっていうよりもやりすぎを通り越してますが…。マルアさんが、リゼリさんを、殴るのは違うと…思います、よ?」
「違わないよっ!その子の教育はアタシが、死んだバルッシャのばあさんに頼まれているんだよ!この『悪餓鬼』が人様に迷惑かけないように見張るのも、食い物が無くてひもじい思いしているときにパンを与えるのもアタシの役目だよ。いいかい、クロード。その娘を甘やかしたら付け上がる、甘やかしちゃあ駄目なのさ!一発殴っても解らないんなら、もう一発殴る。それがアタシの躾の仕方さっ」
「それは…」
だからって、殴っていいことなんてないでしょう?体罰反対です!
と、言葉を出すことが出来なかったのは、マルアから発する殺気にも似た威圧のせいであり決して、理由もわからずに殴れていた腹いせではない。
じりじりとクロードは、怒り狂うマルアから数歩後ずさる。
「だから、さっさとその子をこっちにお渡し。リゼリ、アンタもいつまでクロードの背中に隠れているつもりだい?もしや、クロードを身代わりに逃げようって魂胆かい?そんなことしたら、どうなるか…、わかっているだろうね?この店。傾くよ」
17の娘一人で切り盛りしている薬屋を潰すのは簡単だよ。と薄ら笑いを浮べるマルア。
かなり、いや、ものすごく、怒っている。
そして、両手を腰に当てて、リゼリを見据える。
「ひど…ぃ…」
ぽつりと言葉をこぼしたリゼリは、青ざめた顔でクロードを睨みつけ、
「アンタのせいよ。この疫病神!!」
噛み付く勢いで、クロードの耳元で叫んだ。
「ええええ!?」
理由もわからず殴られ、理由もわからず非難され、クロードは悲鳴にも似た叫び声をあげた。
マルア・パルクーワ。
薬屋「翡翠」の斜め前のパン屋「プランスヴェル」の女将にして――、彼女《リゼリ》の保護者である。
清々しい、ハーバル街の朝。
この薬屋「翡翠」の斜め前のパン屋「プランスヴェル」から香ばしい香りが漂っている。
空の青も、
ゆっくりと時間を感じさせないくらい、穏やかに動いている雲も。
この、一日という日の「始まり」を描いている。
そんな、清々しい、朝。
「このっ」
けれど、この薬屋「翡翠」では清々しいどころではなかった。
「どあほーーーーーーーーーーーっっっっ!!」
亜麻色の髪を殺気で揺らしながら、手には麺棒。
振り上げ、
振り下げ、
「この、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁ!」
力いっぱいの連撃を繰り返す。
「ひぃぃっ!いた、痛いですっいたたいたいたっ」
ひたすら麺棒で殴られ続けている、青年―クロードが頭を抱えて逃げ出す。
新緑の緑色の髪を振り乱して、店内の出入り口のドアノブに手をかけ何度も回す。
がちゃがちゃと金属の音が響くだけで、扉は一向に開くことは無い。
(鍵!!)
がちゃり。
鍵を下ろして、クロードは出入り口を大きく開け放つ、が。
「待ちなさい!!このどあほ!!」
彼女―リゼリは麺棒を垂直に投げ、クロードの後頭部に直撃した。
「うぎゃっん!」
前方に倒れこみ、後頭部を抱えて悶絶する。
クロードの後頭部に直撃した麺棒は通りの路地に落ちて転がった。ずかずかとクロードに駆け寄り背中を力いっぱいリゼリは踏みつけた。
「あ・ん・た・ね・ぇっ!!!昨日、あれだけ言ったでしょ!?」
亜麻色の髪が蛇如く(気迫で)うねりを上げ、緑の髪を無造作に鷲づかみにした。
まるで女性のする動作ではない。恐ろしさでクロードは真っ青になった。
「い・い・こ・と?」
ぐいっと右手でクロードの顎を掴み顔を上げ、視線を合わせリゼリは引きつった笑顔で、怒鳴りつけた。
「あんっの、『馬鹿餓鬼』にポーションをタダでやったなんて!あんたは学習能力ないのかしら!?」
ずるずると店内まで引きずって、掴んでいた髪を勢いよく振りかぶりクロードの頭を床に叩きつけた。
ごすっと木で出来た床に、額を思いっきりぶつけた上に勢いがあって二メートルほど床の上を滑る。
「うぅぅ」
引きずられたショックと、ぶつけたショックと滑ったショックと、それとリゼリが何で怒っているのか、理解できないショックなどなど…とりあえず朝一番に怒鳴られ殴られ、引きずられ…。痛みと混乱で目に涙を溜めてリゼリを見た。
「い、いきなり何を…」
ギンッと睨まれ、出掛かった震えた言葉は喉の奥に逃げた。
「いい、あんた。本気で売り飛ばされたくなかったら、あの『餓鬼《ガキ》』には金輪際何があてっても恵まない。たとえ、神様がなんて言おうとも!!大体、お代をまけるでも許しがたいのに、タダ!タダですって!?信じられない!!たかが雇われの、居候の、人外生物《いきもの》のクセに!!」
ギリギリといつの間にか再び手にした予備の麺棒を雑巾のように絞り上げようと捻っているリゼリに恐怖し、「殺される!!」と心中叫んでしまいクロードは、ただただ床に座り込んで「すみませんすみませんすみませんすみませんっっ」と連呼をし続けた。
が、リゼリの怒りは収まらない。
「馬鹿天使…、あんた天使のクセに疫病神ね!」
ギリっと歯軋りの音が聞こえ、眼が細められる。
(こ、殺される!!)
ギチギチと麺棒が音を立てる。
人の力ではありえない。
終いには、
ばき!!
「ひぃ!」
殴られる音が響く。
頭を抱えて、床に蹲るクロード。
そして、
「ひぃ…いっ…痛っいぃいっ」
後頭部を抑えて半身を曲げている、リゼリ。
「え、あれ?」
頭を守るように抱えていたクロードは、後頭部を抱えて涙ぐむリゼリを見た。
「え、…え?」
何が起こったのか理解できず、クロードは瞬きを繰り返し、そして――
彼女の後ろで握り拳を見せている、一人の女性と視線が合う。
茶色の髪を後ろで一纏めにしてリボンを使って髪をお団子にし、地味な濃紺のワンピースにアイボリー色のエプロン姿。年は五十過ぎ。皺の入った目元と、いつもは柔らかい眼差しの瞳が今は鋭利な刃物のような眼光でリゼリを威圧していた。
リゼリは、振り向かずに、自分を殴った相手が誰であるのかこの無言の圧力で気づいていた。
「…マ、マルア…おおお…おおおばさんっ」
恐る恐る振り向くリゼリに、ばしんと今度は彼女の側頭部に平手をお見舞いした。
「痛ぃぃっっ」
右側を押さえ、床に座り込むリゼリにクロードは慌てて駆け寄る。
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
リゼリの怒りの対象になっていた彼が、リゼリの前に出る。
「マルアさん、いくらなんでもいきなり殴るのは――」
「あのね、クロード。リゼリがアンタを麺棒で殴って、足で踏みつけて、頭を床に叩きつけるのは、いくらなんでもやりすぎだろう?違うかい?」
マルアと呼ばれた女は、ギロッとクロードを睨み饐えた。
びくりと身体を振るわせながら、クロードは、
「えっと、それは、…やりすぎっていうよりもやりすぎを通り越してますが…。マルアさんが、リゼリさんを、殴るのは違うと…思います、よ?」
「違わないよっ!その子の教育はアタシが、死んだバルッシャのばあさんに頼まれているんだよ!この『悪餓鬼』が人様に迷惑かけないように見張るのも、食い物が無くてひもじい思いしているときにパンを与えるのもアタシの役目だよ。いいかい、クロード。その娘を甘やかしたら付け上がる、甘やかしちゃあ駄目なのさ!一発殴っても解らないんなら、もう一発殴る。それがアタシの躾の仕方さっ」
「それは…」
だからって、殴っていいことなんてないでしょう?体罰反対です!
と、言葉を出すことが出来なかったのは、マルアから発する殺気にも似た威圧のせいであり決して、理由もわからずに殴れていた腹いせではない。
じりじりとクロードは、怒り狂うマルアから数歩後ずさる。
「だから、さっさとその子をこっちにお渡し。リゼリ、アンタもいつまでクロードの背中に隠れているつもりだい?もしや、クロードを身代わりに逃げようって魂胆かい?そんなことしたら、どうなるか…、わかっているだろうね?この店。傾くよ」
17の娘一人で切り盛りしている薬屋を潰すのは簡単だよ。と薄ら笑いを浮べるマルア。
かなり、いや、ものすごく、怒っている。
そして、両手を腰に当てて、リゼリを見据える。
「ひど…ぃ…」
ぽつりと言葉をこぼしたリゼリは、青ざめた顔でクロードを睨みつけ、
「アンタのせいよ。この疫病神!!」
噛み付く勢いで、クロードの耳元で叫んだ。
「ええええ!?」
理由もわからず殴られ、理由もわからず非難され、クロードは悲鳴にも似た叫び声をあげた。
マルア・パルクーワ。
薬屋「翡翠」の斜め前のパン屋「プランスヴェル」の女将にして――、彼女《リゼリ》の保護者である。
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