6

【6】

  『……そうです。役立たずです。なのに、役立たずの僕をリゼリさんはすぐクビにせずにどうしてこの店に置いてて下さるんですか?』



半地下の調合を行う彼女の仕事場。
リゼリは店の帳簿と、処方箋、そして材料の成分書かれた詳しいノートを広げていた。
(あの天使、思ったほど馬鹿じゃないのかも…)
確かに、使える天使でもない。それなりに仕事を覚えれば、カルバ商会の従業員と同じくらいできるだろう。けれど、それほどリゼリは気の長い方ではない。
むしろ、かなり短い。

何故、置いておくのか――。

(ハーヴェイ…先生)

リゼリの師であるバルッシャの一番弟子。
冷たくなった師を見下ろす、あの目を思い出す。
彼にしか分からないだろう、リゼリには理解できない――眼差し。
師であるバルッシャが死ぬ原因を作った娘――。
冷たい牢獄で死した老女を見据える、眼差し。


冷酷な、と言えばいいのか…。


(……先生…)
恨まれている、憎まれている、そして――疎まれている。
極力関わり合いにならないようにしてきた。
向こうも、リゼリなどとは交わす言葉などないと思っているだろう。
疎遠になった兄弟子が、来た。
それが何を意味するのか――。

バルッシャの葬儀――、彼女の遺言。
稀代の天才薬師と言われていた彼女の処方箋。
そして、調合文書、日々を綴り薬草学などこと細やかに書かれた日記。
薬の調合が書かれているそのすべてがバルッシャの遺産と呼ばれ、その遺産は兄弟子のハーヴェイではなく、その妹弟子にあたるリゼリへと渡された。
それが彼女の遺言だった。

(…おばあちゃん……っ。本当はこんなのいらないよ…こんなの全部――、お店だって)

充分過ぎるほど、リゼリはバルッシャから貰っていた。
八年前出会えて、心の底から良かったと感じている。だから――「マイナス」の書かれた数字の店の『帳簿』を閉じる。
ハーヴェイが現れたのならば…、それほど時間がない。
本当はクロードなど雇うだけの金銭などない。
バルッシャが調合した保存の効く『薬』を売り払って店を切り盛りしている。
実際、リゼリが調合している薬の大半は使用期限が切れてゴミ箱行きだ。
調合の為の素材も『採取』と言う形で、『仕入』を下げている。
薬もある程度は売れるが…それはリゼリの知人という顧客であって、薬屋『翡翠』の顧客ではない。


 ある事件で――彼女には『信頼』が無いのだ。


町の人々は知っている。事件の真相を――間違いだと言う事に。
けれど、一度起こってしまったものは…口さがない者たちの寄って煽られて町の外まで広まってしまったのだ。町の中はルイスなどリゼリを想う人たちによって何とか消すことが出来たが…、町の外で根付いた悪感は消すことができず…。

(……完成させなきゃ…)

その追い詰められるような感覚に、吐き気を覚える。
「……『ファランシャの涙』…、おばあちゃんの何もかも――奪わせない――」
この、秘薬さえ完成すればきっと――。
(きっと…。大丈夫…)
処方箋に書かれた、『ファランシャの涙』の記述。全て記述通りに行っている――-何かが足りない、何かが違う――。胸を押さえ――知らずと、『聖石』が入っている革袋を握るような形となる。
ふと思い立って、胸元から革袋を取り出し中の宝石を机に広げたノートの上に落とす。

緑色の――クロードの髪の色だ。

「すりつぶしたら…何か効力とかあるかな?」
親指と人差し指で挟んで、ランプの光に当てる。
と思い立つと同時に、クロードの本気の泣き顔が浮かんで顔を振る。思わず笑いがこぼれ、
(あいつな~)
あれが天使でいいのかしら?と心中毒づいて、呆れる。
彼の申し出は――喉から手が出るほどに載りたかった。
けれど――。

(ハーヴェイ、先生…)

その人物の姿が消えない限り、一人でいることはいい得も知れない不安が押し寄せる。
この時期にクロードが側に居ることは、心の底から嬉しい。
かつてのハーヴェイは優しかった――だが、その分何を考えているのかわからず…。
彼が『遺産』をほしがっていることは十分承知してる。
採取中に空き巣に入られ、重点的に処方箋が荒らされたことがあった。
明らかに、バルッシャの『遺産』目当ての行為で、ハーヴェイを怪しんだ。
だが、店を荒らした犯罪者を見つけるためには辺境を取り締まるためにこの地に在中する『国軍兵』の協力が必要だった。リゼリは『国軍兵』にあまり良い感情は持っていない。そして、『相手』もそうだろう。
おざなりの捜査のまま、犯人不明で幕を閉じた。
『何かあったら言うんだよ』
空き巣が入りやすい状態を作ったということを国軍兵に一方的に責められたリゼリに、マルアが優しく慰めた。そのやさしさが心細かったリゼリにはとても嬉しかった。


だからこそ、マルアには頼れない。これ以上、彼女たち夫婦に迷惑をかけるわけはいかないのだ。


挟んだその石を照らすと、不思議と焦っていた――追い詰められていた感覚が和らぐ。
「きれい…」
エメラルドと似たような色合いだ。
初めて見た時は翡翠石かとも思ったが、…どちらでもない。
ランプに照らされた『聖石』は見たこともない輝きでキラキラしていて、純粋に、目を奪われる。
宝飾を身につけないリゼリは、鏡を探しだして机に置くと鎖骨より下の肌に当ててみた。
人差し指の第一関節程の雫型の宝石――、
「穴、開けるとさすがにまずわよね…?」
ころころと手の中で転がし、
「革ヒモでくくる?」
などと、薬草を縛るための紐袋を取り出し宝石に合う紐を探し…ピタリとその手を止める。

「……やめた」

広げた紐を袋に押し込めて、
「着飾ってもね…」
亜麻色の髪をひと房取りながら自嘲した。
可愛い可愛いと暗示のように連呼していても、実際にリゼリの性格も見た目も可愛くなどない。
むしろ、地味で、可愛げのない…という言葉がぴったりだ。

「どうせ、可愛い人間じゃないもの――着飾ったってね…似合うわけない…」

ブルーグレー一色の刺繍一つない作業に適したワンピース。
たまに気の合う成り上がり商人の娘が鮮やかな(場違いの)ドレスを着てくることがあり、おいおい。と思う事はあるが――着れない衣装(ドレス)は――憧れる。
そんなリゼリの心の内を知ってか彼女が気を利かせて着飾れと色々服を貸してくれることもあるが…。

ふと、ある焦げ茶色の髪を持つ男の顔が浮かぶ。
マルスは天敵だが、この男は最悪だ。
思い出したとたんに腹が立ってきた。今までの、焦りや不安が苛立ちへとすり変わる。

「……あーーー!もう!!どうせ似合わないわよ!爆発娘で悪かったわね!!
あたしだって綺麗な服とか服とか!アクセサリーとかっ!!」
癇癪を起し、クロードの『聖石』を革袋に詰めて胸元に隠す。

「あいつ次あったら絶対殴る!待ってなさいよ!ディー、ううん――ディック!!」

拳を天井に突きあげて、そして『可愛くない』というトラウマを植えつけた男の名を叫び――怒りのままに振り下ろした。
そのトラウマがリゼリの『着飾る』ということにセーブをかけていた。
いつか、殴る。
絶対殴る。

リゼリは憤りで『いま』の不安をかき消そうとした――。


***


 何か、仕事部屋が騒がしいけれど――気にしない気にしないとクロードは店の商品を丁寧に羽根ハタキで埃を落としていた。

「…?」
胃の部分を押さえて、首を捻る。
「? なんか、変…だ?」
奇妙な感覚が、胃というか、腹部にある。
「??」
奇妙な感覚――、けれど、嫌悪感は感じられない。
けれど、『足りない』――-、そんな空腹感を感じる。
「???」
クロードは困惑しながら腹部をさすり――店の窓ガラスから店の前を行き交いする人々を見つめた。
そして、気づく。

「あれ?」

僅かに見てとれる、緑と茶色の軍服。
(あれは…確か、南方国軍?)

 この西《グランドース》の大陸は一国が支配している。
十四カ国あった土地を一つにまとめたことによる弊害があり、反旗反乱を防ぐために大陸を東西南北領線そって四つに分け国の軍が治安を維持している。
緑と茶色の色彩の軍服は『南方国軍』。
クラインを含めた西南の国軍だ。
 維持している土地の実質の支配は『領主』だが、その領主すらも監視する役割を『国軍』は権限として所持している。
三百年前の建国当初、国軍の横暴な振る舞いがどこかの領地で横行した際、領主が国王に直訴するために王都に向かい――殺された。その一連の騒動が明るみになった際に王都側から『防衛権』として『私兵』の所有を許可され各領には、国軍と領主の私兵、そして――点在する『教会』が自衛のために育て上げた『教兵』の三つの均衡が成り立った。
さらに、ここに『神殿勢力』が入ってくるのだが――。この大陸では神殿は重要視されず、神殿もその国の対応に乗っている感がある。言うならば、互いに関知しない――そのような間柄だ。
それよりも――、

「…なぜ、国軍が?」

ハーバルの町には確か駐在として一部隊の兵士がいたと記憶しているが…。
ハーバルの町には治安維持のための自警団が存在する。自警団は町の青年部の有志の集まりだが、犯罪などが起こった際には各町の自警団と協力して犯人捜査に乗り出す、のだが…。
自警団員の姿は見当たらない。
そして彼らの行動はまるで――、

「――、監視?」

でも制服ならば目立つだろう。南方国軍の軍服ならば…。
(ん?)
兵士が今ほどやってきた兵士と交代し、兵士が――。
「歩き出した…?」
瞬きをしてクロードは首を捻った。
「巡回…ルート…、ですか?」
国軍の兵士など特に珍しくもないが――。
「………」

クロードの苦い記憶が甦りそれを振り払うように――頭を振った。



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あらすじ。

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クライン領「ハーバル町」の薬師「リゼリ」(金銭貪欲)にうっかり弱みを握られてしまった(もとい、リゼリの裸を見てしまった)
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※暴力表現とか流血表現とかあります。
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